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第180回 浮上展望<7/2>

  ナスダック指数があっけなく安値を更新しました。ワールドコムの粉飾が明らかになった26日にいったんは覚悟した安値更新ですから、ショックは限定的だとしても、もしもうひと上がりでもしていれば、ぐっと下値安心感が出たはずなので残念です。
 いずれにしても、今週の独立記念日、来週の主要企業の決算発表を控え、様子を見る他なかったのかもしれません。
 今は朝の9時半、日経平均で152円安。日本株の下値はまずまず堅いようです。

 証券マンのほとんどが暗い顔をしています。目を血ばらせるような切迫した暗さではなく、背中の心棒が抜けたような澱んだ暗さです。
 顧客サイドでもそうだと思いますが、証券マンはバブル崩壊後、何度も暗い時期を過ごしました。しかし、我慢さえしていれば、嘘みたいに明るい局面がやってきました。だから、証券マンは相場が悪いからといって辞められない、しがみついていれば、そのうち・・・・という固定観念がたいていの証券マンにこびりついているはずです。
 ところが、今度ばかりは時間が解決してくれそうもありません。待てども、待てども株価の動きにはメリハリがなく、楽してどんどん手数料が上がるような局面は到底来そうもありません。特に、我々のような歩合外務員の場合、生活上のピンチ度は過去の比ではありません。

 このような中で、だれかを呪ってみても仕方がないことです。「もう、だめだ」が口癖になっている人もいますが、だめだと思うなら、今からでも他の仕事を探すしかないと思います。
 今朝の日経金融に、1930年頃との類似が書いてありますが、相場が悪いときのつねとはいえ、悲観的なストーリーに説得力があり、読めばますます暗くなります。これからますます世界景気が悪化し、証券にペンペン草も生えないような時期が来るかもしれないという考えに対して、 自分がどう答えるか、私はこのことが問われているのだと思います。
 逃げずに、冷静に自分の判断を持つこと、そのこと以外に解決の方法はないと思います。

 私の証券マンとしての勘は、日本株が去年の12月からことしの2月までの間で、バブル崩壊以来の底を打ったことはほぼ間違いないと内心に語っています。
 ただ、公平に見て、日本株が安心できる水準(1万4千円?)に回復するのは、まだ相当に先になるだろうと感じます。過去の下落では、短期に大幅なリバウンドが起こりましたが、今回の相場の質は、実にリーズナブルな感じで、過去ほどノーテンキな戻りには結びつきそうもないからです。
 ですが、だからこそ、今回の回復は本物ではないかとますます思うのです。
 長期的な視点から見れば、疑り深く、迷いに満ちた相場状況はむしろ歓迎です。少しずつ、少しずつ、懐疑を重ね、評価を積み重ねた先に、日経平均が1万2千円を抜けてくれば、その時点では相場はきっとそれほど派手ではないと思いますが、そのときこそ実質的に日本株の長期低迷の終了を確信できるはずだと考えます。
 私はその時期はそんなに遠くなく、早ければ8月にも来ると思っています。ただし、だからといって、諸株が高騰する幸福な相場にはもちろんならないだろうとも思います。


第179回 アリとキリギリス<6/27>

 私はアメリカ人と親しく交際したことはありません。だから、個々のアメリカ人がどんなことを考えて生きているのかよく知りませんが、アメリカという国で見た場合、膨大な貿易赤字を出して、他国のものをどんどん消費していますから、アリとキリギリスの喩えでいうなら、明らかにキリギリスです。
 それに対して、日本は、まさにアリのようにせっせと黒字を積み上げています。国民の気質で見ても、勤勉に働き、こつこつと貯金するタイプが多いようです。
 イソップの童話なら、冬が来て、キリギリスの食べるものがなくなって終わりです。実際、80年代の後半には、日本の得意満面の時代が来て、「やっぱり、怠け者じゃだめなんだよ」という考えをたいていの日本人が抱いていました。

 ところがどっこい、そうは問屋がおろしませんでした。90年代を通じて、日本経済はわけの分からないうちに後退を続け、世界の一等国どころか、生産性では二流以下に転落してしまいました。経営者も労働者も一時はアメリカ人に手取り足取り教えてやりたいくらい自信満々だったのに、今はアメリカ人にはもちろんのこと、アメリカよりもっとキリギリスみたいなフランス人にも頭が上がらない始末です。
 この転落の原因は、はっきりしています。一つは、あまりに素晴らしい経済成長が続いたために、社会システムのあちこちで慢心がはびこり、硬直化し、進歩に適応できなくなったことです。(労働賃金の高止まりと、国際競争力の低下はその結果にすぎません)
 もう一つの原因として、世界の大潮流が工業化社会から情報化社会に変化するまさに潮の境目にあったことが挙げられます。

 90年代のアメリカは、パソコンのOSやMPUに新進巨大企業が出現した他、コーラやハンバーグやヒゲ剃りなどのオールド産業の一部でも高収益企業が続出しました。いずれも重厚長大とは程遠く、日本人の感覚では、基幹産業のイメージからかけ離れています。
 いわば、キリギリス的な産業の勃興と隆盛によって、90年代のアメリカの繁栄は築かれたといって過言ではないと思います。
 アリの感覚から見れば、キリギリス的なものは足が地についた堅実性のあるものではなく、危ういものに見えます。だから、90年代にNYダウの水準が切り上がるたびに、アメリカの株と暴落説がつねにささやかれました。そして、今回、ワールドコムの粉飾決算が明らかになり、そら見たことか、やっぱりアメリカの繁栄には嘘があった、借金国の嘘にみんなで騙されていたんだと、勝ち誇ったように言う人もいます。

 私はその見方に反対です。カタイもの、つまり金とか地面、それに食い物と薬が一番だと考えるのは投資家の自由です。しかし、世界経済はそればかりではありません。
 資本主義がもしアリのもので、カタイものを貯め込むしかないものなら別ですが、おそらく今後も変貌しながら、発展していく性質のものだと思います。
 キリギリス的な証券中心の米国経済は、為替や株価で見る限り、いままさに微妙な局面にありますが、足踏みすることはあっても、日本の90年代のような悲劇的な長期低落には陥らないはずだと私は考えます。


第178回 ターニング・ポイント<6/25>

 昨日今日、日米の株価は朝安の後しっかり、先週とは違って、下値のバネが働きつつあるようです。(書き終わる頃、少しだれています)
 米国のナスダック指数が今週テロ後の安値を更新せずに終わるかどうか、かたずを飲んで見守っています。もし守れれば、最近のドル安に象徴される米国経済への不安感が大きく修正される方向に反転すると考えます。逆にもし守れなければ、その不安感はますます顕在化し、世界経済を揺るがすことにもなりかねません。
 私は先週述べたように、旗印としては「日米株価の底割れはない」という立場を採っていますが、現時点ではあまりにも正念場に過ぎるため、積極的には強気行動をお勧めしていません。

 ドルの暴落懸念や、99年以来1万ドル超を中心にした往来ゾーンにあるNYダウの下離れ懸念など、アメリカの繁栄を根底から覆すような悲観シナリオがまことしやかにささやかれています。過去、コンピュータの2000年問題を始めとして、世界経済を揺るがすような悲観シナリオが市場にまかり通るときには、実際にはそうはならず、その代わり、テロや戦争やオイルショックは突発的に発生しています。
 だから、市場が世界経済について強い悲観シナリオを抱くときは明らかに買い有利の結果となっており、リスクに立ち向かった見返りも大です。今思えば、アメリカを中心とする世界株高は1982年に出発したのですが、そのときは中南米向けの不良債権で米国の銀行が危機に瀕しており、世界経済の先行きは暗澹としていました。
 82年の8月、私は夏休みで郷里に帰りましたが、荷物をまとめて逃げ帰ったようなもので、顧客の持株はことごとく水浸し、気持はボロボロ、夢破れて山河ありの心境でした。ところが、何日目かの朝、同僚から電話が入り、「NYダウが大幅高した!」と伝えられたとき、救われたと思いました。実際には、日本株が反騰するまで、1ヶ月半くらい悶々とするが続きましたが、もはや気持はそれほど暗くはなかったと記憶します。

 「遠い戦争は買い」という言葉がありますが、現代では「世界の危機が叫ばれたら買い」といったほうがより適切ではないかと考えます。世界の資金は膨大です。金やその他の国際商品に逃げたって、たかがしれています。世界経済が麻痺しない限り、結局は、先進国の株と債券から資金が逃げたままになることなどありえません。平穏が戻れば、少なくとも危機感で売られた分は利益となるはずです。
 ただし、問題は、怖さの質が尋常ではないことです。日本経済の混乱でさえ怖いわけですから、世界の株価が崩落していくイメージを思い浮かべると、腰が抜けてしまいます。
 本当に大丈夫かどうかは、考えても仕方がないことです。積極的に行動するためには、投資資金について根本的に割り切る必要がありますし、もし簡単に割り切れないと思うなら、判断とは別に行動は慎重に抑えざるをえません。

 今夜、そして今週の米国株がどう動くか私はかたずを飲んで見守っています。
 多分、底だと思うので、もっと若かったら、買い、買い、と強気を主張し続けたと思いますが、今は半身の構えです。


第177回 憂鬱の克服<6/20>

 実に気持が暗くなる相場です。日々の生活の中で、株価のことを考えるのほんの時たまという投資家にとっては、たいしたことではないかもしれませんが、証券を業とする我々、そして投資にある程度の情熱を傾けている投資家にとっては、過去の下げ局面にはなかったほど無力感と憂鬱な気分を感じさせる相場だといってもよいのではないでしょうか。

 無力感と憂鬱の原因は明白です。証券そのものに対するイヤ気、あるいはニヒリズムが人々の心を侵食し、1カイ2ヤリならともかく、その先に株価がどうなるかは、「まじめに考えるだけ馬鹿らしい」というムード強くが漂っていることです。
 バブル崩壊後、実態の悪さを感じながらも、そこまで下げる必要がないじゃないかと思い買い向かう人、いやだめだと考え投げ売りする人、行動は様々でも、日本経済の実力を見抜き、株価を予想しようとする気力に充ちていました。だから、相場が下げて多少暗い気持のときでも、我々には少なくとも心の張りがありました。
 それに対して、今回の場合、4月5月の上昇時でさえ市場に漂っていたのは、「どうせ、たいしたことはない」というしらけムードです。人々の多くはもはや楽観一方に傾くこともなければ、悲観一方に傾くこともありません。将来を予想しようとする気持そのものがないのですから。

 そのような中で、日本株の株価位置に魅力を感じ、6月に入ってもまだ相場は始まったばかりと考え、強気だったのは私ばかりではないでしょう。多くの人は、しらけきっている、だからこそチャレンジャーには報酬があるはず、という気負いが我々にはありました。
 しかし、相場は急落しました。下落幅はそれほどではなくても、過去に珍しいほどの全面安が続いたという点で、非常に無残な下げっぷりでした。
 急落の原因は、米国発の証券不信が日本に伝播したことと私は考えます。
 この春以降、米国の金融資産(株、債券)には漠然とした不安感が漂っており、当初それは日本株には有利に働いていたものの、ここにきて、米国株だけでなく世界同時株安への不安感に拡大してきたものと見られます。

 経済のデフレ傾向の長期化で蔓延し始めた国内のしらけムードに加え、米国発の証券主導経済への漠然とした不安感と企業会計への不信感が、市場の投資意欲を根こそぎ阻喪させた結果となっています。
 昨年のテロ事件が米国株立ち直りのきっかけになったように、株価は目に見える悪材料には比較的打たれ強いといえますが、現在米国に漂っている不安感は漠然としているだけに始末が悪く、ましてや現在日本に漂っているしらけムードは、英国病ともいうべきもので投資マインドの大敵です。
 今日、日経平均で136円高と反発し、底入れ感が出てきました。過去ならば大いにリバウンド期待が高まるところですが、現在の市場マインドでは当面の反発幅は限定され、消化不良の状態を引きずるのではないかと思われます。

 そのような中で、憂鬱な気分にはまり込まず、気持をクリアにしておくことは、大変に努力がいることです。証券マンのつねは、酒を飲んで憂さを忘れ、気分転換することですが、どうも今回の憂鬱は、そんなことでは解決しそうもありません。
 世界同時株安の不安としらけムードの現状を丸呑みし、自分自身の旗印と対処法を鮮明に掲げて、自分の運命は自分で決めていくという強い意志を持つしか解決できないと考えます。

 現段階の私自身の旗印は、次の通りです。
  • @ 米国株底割れ→世界同時株安の不安感には組しない。
  • A 日本株は大局的に大底を打ったと考え、割安の低位株と小型株に基本的な強気を維持する。
  • B 日経平均と米国株にはそれほどの上値を期待しない。
 当面の対処法は次の通りです。
  • @ 上記の@とAにかかわらず、当面は相場急落のリスクが可能性としては強く存在するので、地合い好転まで静観を基本とする。
  • A 余裕のある人の買い付けには賛成するが、信用取引では、1万300円を割るような再度の急落があった場合は、売却を検討する。
 愚か者、なぜ上がっているときに強気で、下がった今のようなときに慎重になるのだと笑止に思われる方も多いかもしれませんが、買い付け銘柄の大化けに賭けた順張り戦略を採っている以上、やむをえない対処と自分では考えています。


第176回 失敗と挫折と進歩<6/17>

 日経平均が10600円台まで急落しました。私にとって痛いのは、平均株価の下げもさることながら、4日連続で値下がり銘柄が1000を超える珍しいほどの全面安になったことです。
 株式投資に失敗はつきものです。失敗を棚上げして、あるいは本当に忘れ果てたかのようにそしらぬ顔で次の銘柄を勧める営業マンもいますが、私はそのようなタイプではありません。
 6月になってなおかつ強気であり続けたのは、失敗でした。投資のほとんどは中期狙いですので、結果的には大儲けする場合もありましょうが、少なくとも現時点では、投資のタイミングを間違えたことを認めざるをえません。

 問題は、失敗の質です。イチローでさえなかなか打率が4割に乗らないように、ある確率で覚悟せざるをえない失敗もあれば、過去の失敗の教訓を活かせば防げたはずの失敗もあります。
 たとえば、一昨年秋に始まった半導体関連株の下落のスケールを、当初軽視してしまったのは、明らかに直近のイメージに支配され、相場の大局を見誤った大失敗でした。
 それに対して、今回の失敗は、相場の大きな流れを根本から見誤ったミスではなく、中期的な相場リズムを見誤ったミスではないかと、現時点では自己分析しています。
 目先の株価動向を当てることは、相手の投手が何を投げるかを当てるのと同じく、当たるも八卦のようなものだと割り切っています。中期の株価動向を当てることは、これは程度の問題ですが、やはり、相手(市場人気の振幅)があることなので、なかなか当たらないことがあってもやむをえないのではないかと多少割り切っています。
 しかし、ぜひとも当てたいのは、経済の大きな動きに基づく大局的な株価動向です。この判断でも過ちを繰り返すなら、相場に手を出すことは所詮賽の河原の石積みであり、進歩は望めません。

 3月以降、日米のファンダメンタルズに根本的な悪化が生じたとは思われません。日米とも共通するのは、回復への期待感であり、もともとそれほどはよくなかったはずです。
 ここに来て、日本株の下げは、政策への失望だと説明されていますが、失望するほど期待していた人が多かったのでしょうか?
 ここにきて言われている悪材料のほとんどは、すでに3月にも存在し、4月にも、5月にも存在していたはずです。
 それらを認識した上で、なおかつ日本株は底入れしたのではないかという命題を立て、その命題を前提に私は割安株に強気方針を採用してきました。

 現時点では、2月が日本株の大底だった、かつ底を打った以上、日本株は大局的には上昇波動のさなかにいるという判断を変える必要はないと考えます。
 とすれば、過去の失敗の経験から言えることは次のことです。

  1. もしやまだまだ下がるという漠然とした恐怖感でおたおたするのは一番まずい。
  2. 目先のリズムを見誤った以上(曲がり屋になっているので)、下手に突っ張るのもまずい。
  3. 基本的に何もしないで、気持をできるだけクリヤにしているのがよい。
情けなくも、以上が現時点の私の見解です。


第175回 脱「モメンタム」の季節<6/13>

 今朝のテレビで、米国の女性アナリストがNYダウの下値目途を問われ、その質問にはあまり答えず、モメンタム(株価の勢い)ではなく、バリュエーション(価値判断)による選別色が強まるだろうとコメントしていました。
 これは、私が再三にわたり、切々と述べたく書き続けてきたことを、スマートに表現したものです。
 投資家にはいろいろなタイプがあってこその相場ですが、日本の投資家(というより、証券関係者)はあまりにも株価を勢いのみで判断するタイプに偏重しているようです。
 強気の人気であれ、弱気の人気であれ、人気があるうちは、賛成だ、いや反対だとワイワイやっているものの、人気がなくなったもの、あるいはまだないものに対しては、なんの判断力も持てない人が多すぎます。
 平均株価にモメンタムが極端に見えにくい今、問われているのは、人気不人気ではなく、自分自身の価値判断であることは明白です。

 問題は、何を価値判断の根拠とするかです。今日の日経金融で、詳述は省きますが、店頭株指数の上昇の背景に、「PEGレシオ復権」の動きがある、だから「ミニバブル」で要警戒だという意見がでかでかと掲載されています。この意見は、在日外人の中には前科者(ネットバブル)がいる、だから在日外人は悪者だというのにも似た暴論です。
 客観的かつ公平に見て、現在の株式市場は、様々な価値尺度が入り乱れており、まさに望ましい状態だと私は考えます。
 90年代後半の二極化相場以来、ROEに始まって、EBITDA倍率、EVA、PCFRなど様々な尺度が「これじゃないといけない」とブーム化しましたが、本来判断は人間自身がすべきものであり、これじゃなければいけない機械的な尺度など存在しないはずです。
 では、我々は、なにをもって株の価値判断をすべきなのか? これが問題です。

 その問題にもちろん答えはありません。株価変動が存在する限り、永遠の問題だと思いますが、ただし、だからといって、判断の根拠は勝手気ままでよいというわけでは決してありません。
 企業の経済的価値を決定するのは、ストック(資産)とフロー(収益)であることは疑いありません。これは今後も絶対に変化しない永遠の原則でしょう。
 フローの価値ははどのようなときでもつねに流動的であり、予想でしかありません。それに対して、ストックの価値は本来は安定的なものなのでしょうが、今の日本の状況ではそれさえも不確実なものになっています。
 そのよう中で、価値を総合的に見きわめるのは我々自身です。

 今日の日経に、紳士服チェーン各社の業績の概括記事が出ており、3位のはるやま商事(‘7416東証2部)の業績が堅調と解説されています。はるやまは万年不人気株で出来高と動きに乏しく、この銘柄ほど「モメンタム」を感じさせない銘柄は珍しいといってもよいと思います。
 毎年コツコツと数%の増益を続けており、今期予想利益は1株158円です。もとは自己資本比率が低く、その点から投資をためらっておりましたが、毎年の増益で、1株純資産はなんと約1900円、自己資本比率も45%に上昇しています。
 第160回で書いた「擬似連結決算方式」による「投資持分」という考え方をすると、この銘柄を840円位で買えるのは大変魅力的です。
 1000株を84万円で買ったとすると、買うだけでいきなり106万円の投資差額が生じます。NTTドコモは投資持分で、あっという間に1兆円の評価損を計上しましたが、その逆です。ただし、実現利益ではありませんので、とりあえず含み利益としておきます。
 さらに、サラリーマンが背広を着るのを止めなければ、よほどのことがない限り、今期程度の利益が期待できるので、おおむね年あたり15万円程度の投資持分の増加が考えられます。これだけで、投資利回りは18%になります。
 その大半は配当されずに、会社に蓄積されるので、実現利益と考えるのはおかしいと考える人は、その考え方こそ考え直してほしいものです。
 先日、以上の考え方により、投資を実行しました。もし早期に株価が上昇した場合は、売却をもちろん考えますが、現時点では1200円がその目途です。(実は、案外に早いのではないかと期待しているのが本音です)


第174回 わが道を歩くのみ<6/11>

 昨日は2ヵ月ぶりの薄商い。東証出来高は6億株台ありましたが、我々の実感は1億5千万株という感じで、伝票を一日書かなかった営業マンもいます。
 一昔前は、出来高3億株が証券ブローカーの採算ラインと言われましたが、今は10億株位ないと我々のような対面個人営業の大方は潤いにくい構造になっているのかもしれません。

 手数料のことはともかく、日々の相場で投資家がなかなか気持の張りを維持しにくい相場状況が続いていることは我々にとって大問題です。今日も、例の田中さんから電話がありましたが、うんざり、いらいら、あきらめ、ため息、気抜けが電話口から伝わってきて、私にはどうすることもできません。

 達観するしかないと思います。例えば合同製鉄が昨日思いがけないタイミングで106円をつけ、1円だけ高値更新しましたが、だからすわ、上放れかなどと期待すべきではありません。逆に多少反落したからといって悲観すべきでもありません。所詮、投資の成否を決定するのは、最終的にどのような株価の居所になるのかということであって、それが決するのは合同製鉄に限らず、大半の第一部企業にとってまだ先でしょう。

 現在の相場で、強気有利か弱気有利かを決するのは、つまり自分の選択の結果が判明するのは、まだずっと先だと割り切れば、目先の動きは達観できます。
 今の状況なら、上がらないからといって、悪い株を買ったのではなく、下がったからといって、悪材料があるのではないかと心配する必要はないと負け惜しみでなく思えてきます。

 例えば、東京鉄鋼。今日の日経の市況欄に、関東の棒鋼相場がはっきりと3万1000円水準に上昇してきたことが伝えられています。棒鋼メーカーの中でも、関東のシェアを二分する合同と東京鉄鋼にとっては増額修正要因です。特に東京鉄鋼は、もともと今期予想の1株利益32円は堅め予想と考えられるので、現在のスクラップ小康、製品高が続けば、1株利益は40円台、連結子会社保有分消去後では50円台がありえます。
 なのに、なぜ株価が210円台で小動きなのか私には分かりません。所詮は市況産業ということで、将来の業績急悪化を株価が織り込んでいると考えればそれまでですが、もしそうなら、縮小均衡が軌道に乗った現在の棒鋼業界は、数年にわたり好業績を出して急に赤字転落した太平金などとは収益構造がまったく違うので、市場の判断はアツモノに懲りてナマスを吹くような過ちを冒している可能性があると考えます。
 結局はある程度時間がたって見なければ分かりませんが、多分、東京鉄鋼には私の知らない悪材料があったり、収益基盤ががっかりするほど脆弱なものであったりする確率より、市場の判断が弱気に過ぎる確率のほうが高いだろうと達観しています。

 同じくTOC(8841)。外資系から売りが出て、年初来安値の553円に接近しています。今ごろ、バブル崩壊後の最安値時の相場水準に戻ろうとするのは異常で、その異常さに、もしかしたら悪材料があるのではないかと不安にもなりますが、多分、この売りにも深い意味はないのではないかと達観します。安い株価は安いがゆえに見切売りが出ます。見切売りが出ることは、普段不人気な銘柄に少しは人気が出るはずみになると考えれば、腹もたちません。
 当面は、わが信じる道をマイペースで歩くほかない状況と考えます。


第173回 気を引き締める<6/6>

 前回の表題は、手違いで前々回と同じ「透明に近いブルー」になってしまいました。実は違う題名だったので訂正してもらおうかと思いましたが、ま、いいかと思い直し、そのままで済ますこととしました。
 「透明に近いブルー」は、書いている本人もよく分からないまま思いつきでつけた題名なのですが、何がなんだか訳の分かりにくい、単純には緊張感を持続させるのが難しい今の状況にはピッタリではないかと思ったのです。

 店頭平均が、昨日でバブル崩壊後の最長記録である99年春の16連騰に並びました。しかし、びっくりするのは、16連騰もしてわずかに5.2%しか上がらなかったという日々の騰落幅の小ささです。
 おそらく、16連騰するより、一日でもよいから胸のすくような大幅高を演じてほしいという気持を抱いている人は多いのではないでしょうか。前にも書きましたが、我々の仲間は、現在は悪い相場ではないのに、下げ相場のとき以上にしおたれている人が多いようです。
 そのような中、あまり目先にこだわらないタイプである私も、このところぼおーっとした気分にはまり込んでしまっています。

 例えば、丸紅。150円に接近して、本来なら買いか売りか大いに緊張感がわくところです。今売れば、普通の感覚では大幅利食いです。ノルマ意識のある社員セールスなら、迷わず売らせて、何か別の銘柄を勧めるでしょう。しかし、我々の場合やあるいは良心的な社員セールスの場合、売るだけならまだしも、別の銘柄を買うのなら顧客が手数料損になるのではないかと考えてしまいます。
 先日、丸紅が145円まで上昇した後、2日後128円まで急落したときには「しまった」と思いましたが、またジリジリと戻ってきたので、もはや慌てる気持はありません。丸紅が150円が高値で終わってしまうなら、普通の株は何を買ってもだめだと割り切るべきではないでしょうか。

 そういうわけで、上がっても下がっても慌てる気持にならない日々が続いています。・・・・たった今も、合同製鉄が104円の5円高と年初来高値更新にあと一歩に迫りましたが、信用で買っている顧客に連絡しただけで、またこの文章を書くのに戻りました。

 ところで、このところは三井トラスト、大和、みずほアセットなど、低位銀行株の上昇率は目覚しいものがありました。私の顧客でも大儲けした人がいます。私の方からは到底勧める気にならない銘柄群ですが、去年の12月が異常な悲観だったので、その反動で多少楽観的な株価がついてきても不思議ではないと考えます。
 異常な悲観に対する修正の余地は、低位株や小型株でまだ十分にあるはずです。目先派手に上昇する銘柄は限られており、他人の芝生がよく見えたりで、欲求不満に陥りたくなる展開ですが、焦りは禁物です。

 16連騰して5%しか上がらない相場にいかに耐えるか、本当にダメで上値余地が乏しい銘柄と、いずれ大きな上値に進むであろう銘柄をいかに峻別するか。そのように考えれば、現在はぼおーっとしていては大きな機会損失につながる局面なのでしょう。


第172回 透明に近いブルー<6/4>←一喜一憂

 平均株価については一喜一憂しても仕方がないと主張し続けている私ですが、それでも自分自身どうしても期待したり幻滅したりの日々です。
 朝起きて、まさにガク然としました。今日は昨日の引け味を引き継ぎ久々に陽気な相場になるかと思いきや、アメリカ(特に半導体株指数)がこれだけ下げていれば、一転暗いムードが漂い、日本の平均株価も再び安値模索にならざるをえません。

 今のような平均株価の膠着状況は、どのような基準から見てもバブル崩壊後数度しかありません。今日の業界紙に、騰落幅の極端に小さい日が連続したのは94年、96年、99年の3度で、そのいずれもその後に大きな変動を伴っているが、大幅上昇1回、大幅下落2回と書いてありました。
 下落の2回は、株価位置と経済環境で今回と大きく違い、大幅高の99年も環境は今回と酷似しているものの、ゼロ金利政策というウルトラCがあった点で、今回とは違うのではないかと思われます。
 したがって、場合によっては、今回の膠着感はどこまでも続いていくということも覚悟せざるをえないのかもしれません。
 米国でも、黄金の60年代と80年代の世界株高と90年代の大躍進の間に、長い膠着状況があり、「株の死」が言われたこともありました。

 株はロマンです。夢と期待が心を奮い立たせます。しかし、下手に一喜一憂をしていれば、心が疲れ果て、しなびてしまうかもしれません。
 株は大きく動くときは動くし、動かないときはじたばたしても仕方がないと割り切り、無駄な一喜一憂はしないよう肝に銘じるほかないのではないでしょうか。

 ところで、値動きを注視することと、一喜一憂はまったく違うことだと思います。一喜一憂はまったくの受身で、結果を待っているに過ぎません。それに対し、注視は次の行動を踏まえたものです。そういう意味では、今日の私は、東京鉄鋼の値動きしか見ていないに近い状況です。私の手がけている銘柄では、他の銘柄は小型株といえども、逆行高する状況とは思えず、かといって利食いを勧める状況にもないと考えていますので、今日の値動きを見ても仕方がないと思い、ほぼ放りっ放しです。(もっとも、丸紅とニチメンが高いのには気をよくしています)

 ・・・・バタバタして書きかけになっている間に、今日の相場が終わりました。
 平均株価の下げは予想外に大きかったものの、東京鉄鋼が230円(12円高)と高値を更新して終わったのに喜び、つい「一喜一憂」してしまいます。


第171回 透明に近いブルー<5/30>

 再び、田中さん(仮名)との電話での昨日の朝の会話。
「だめだな、これは・・・・」
「アメリカがまた下げて、市場は今度こそがっくりきています。今日は、1万1700円台を終値で保てれば、よしとせざるをえないかもしれませんね」
「売りかな」
「・・・・。目先、そうかもしれませんね。私は基本的には強気なんですが、もしも1万1500円を割れたら・・・・と思うと、そうはならんだろうと思いつつも、当分はちょっと不安な、嫌な気分の日が続くかもしれませんね」

 午後、引け後の会話。
「銀行が上がったので望みが出て来たね」
「そうですね。まずまずの結果ですね。ハイテクに期待できない今の状況では、銀行が上がれば、一般銘柄へのマインドもまた変わるかもしれませんね」
「明日も上がるかな」
「うーむ、そうだといいですね」

 私の受け答えは「かもしれません」の連続で、甚だ気迫に欠けていますが、正直なところ、本当は「分かりません」と答えたい気分なのです。
 株は、一寸先は闇で、その意味では我々に「分かる」ことなんか何もないといってよいものの、「分かった」と思えるときも多々あります。
 今でも、例えば「東京鉄鋼はどうなんだ?」と聞かれれば、本心から「上がるに決まっているじゃないですか」という思いとその根拠を「断定的な判断の提供」にならないように気をつけながら、自信をもって述べるでしょう。
 個別銘柄以上に平均株価の予想は難しいとはいえ、「分かった」ような気がするときもあります。しかし、今ほど訳の分からぬような気分が漠然と漂っているときも珍しいのじゃないでしょうか。上か、下か、のドキドキした二者択一ではなく、どこが端っこか分からないほどごちゃごちゃにもつれた糸をほどく時のようなもどかしさがあります。

 だから、平均株価なんかどうでもいいと思いたいのですが、そうもいきません。田中さんのように日経平均にこだわりまくる顧客も依然多く、小型株の相場だって、平均株価に急落する懸念があれば、冷水を浴びせかけられます。
 昨日の午前中、まがりなりにも東証1部の兼松エレク(8096)が、1円安の925円で寄り付いた後、買い物が94円安の830円にしかないという恐るべき板状況が現出しました。
 ナスダックJのCVSベイに至っては、前場は売買ゼロ(買い物は5円安)で終わってしまいました。
 仕方がないと思います。12日連騰の店頭株だって、それほど商いが盛り上がっているわけではありません。

 株をやっている人の大半は、毎日グングン上がる相場でなければ、気持がブルーになってしまいます。もっとも、下げ相場のときはそれなりに気の張りがあって元気な人が多いのですが、横ばいのてれてれとした相場が続くと、途端にしおれてしまいます。
 私もそうです。株は日常生活と違い、つねに動きを見せ、判断を強いられる世界と感じて、それゆえにこそ醍醐味を感じています。
 仲間もそうですね。だから、この数日は死んだような人が多いです。ただし、暗さを漂わせている人は減りました。日々の金の心配、将来への不安、顧客との軋轢・・・・そんなものは超越してしまったような奇妙な明るさが兜町に漂っています。

 どんな悪材料も出てしまえば、悪材料ではありません。済んで(?)しまったことで憂鬱な思いを引きずる人は相場に置いて行かれます。銀行の決算を無事通過した日本の株式相場は、いま、透明に近いブルーの状態であり、本当は文句をいったら罰が当たるほど、投資環境としては悪くない相場状況なのではないかと私は考えています。

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