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第330回 日経平均1万2000円<4/7>

 3月後半の伸び悩みで、日経平均の1万2000円突破は夢のまた夢というような気分に陥り始めた矢先、輸出関連株中心に2日続伸し、今朝は11800円台の半ばで小じっかりの動き。きっかけさえあれば、いつ大台に突入してもおかしくありません。
 しかし、我々の部屋のムードは低調です。中小型株であっちだこっちだ大忙しの者も一部いるものの、大多数は一日をぼんやり過ごしています。私も昨日あたりは、顧客に申し訳なくも、パソコンの画面で前の日に打った碁を並べ直したり、小説を読んだりして時間をつぶしてしまいました。
 どうして暇かといえば、顧客の多くは平均株価はどうせ大きくは上がりも下がりもしないとたかをくくっているので、当然ながら売り買いのマインドが希薄で、それに対して我々も、目先の平均株価の動きに成算が持てない以上、「いま買わないと、二度と買えませんよ!」という類のセールストーク(現実にはもっと地味なセリフですが)で顧客の気持を揺さぶる気になれないのです。

 平均株価なんか気にしなければいいという考え方があります。「森を見なくちゃだめだよ」とえらそうに言う人には言わせておけばよいのであって、自分にとっては木が大切で、森なんか二の次だという個別物色主義です。私自身も本来はそういう考えに近く、平均株価が上がらなくては儲けられないとは必ずしも思っていません。
 加えて、平均株価の中でも、日経平均は、過去の遺物みたいな欠陥の多い指数であり、日経平均の1万2000円にはなんの歴史的意味もありません。例えば90年代の株価水準は、日経平均で見ればおおむね1万4000円台〜2万円超のゾーンにおさまっており、現在はそのゾーンのはるか下、高値からは半値近い水準にあることになりますが、これは実感と大きく乖離しています。TOPIXで見れば、現在の水準は90年代のゾーンである1100〜1700ポイントの範囲内にあり、中小型株指数で見ればもはや安値ゾーンでさえありません。 第一、昨年の水準と比較しても、東証一部の過半が昨年春より高い水準にあり、いまさら日経平均の高値更新にこだわる必要があるのかさえ疑問です。
 しかし、にもかかわらず、日経平均にこだわらざるをえないのは、日経新聞のためではなく、いま平均株価がどう動くかが歴史的に見て非常に重要な意味を持っており、我々はまさに正念場に立っていると考えるからです。

 さきほど、日経平均の1万2000円には歴史的に見てなんの意味もないと申し上げましたが、それは長期的な話で、短く見れば、大まかに日経平均=TOPIX×10であり、この両指数が昨年4月高値を超えることには大きな意味があります。
 すなわち、両指数に大きな影響を与える主力株(各業種の代表的な銘柄)が昨年4月の高値を超え、上値を期待できるようになることは、とりもなおさずデフレ脱却を完全に宣言することになり、さらには日本経済の上空を覆う重苦しい雲(社会全体の閉塞感)に一つの突破口が開けたことを意味すると考えられます。
 この歴史的な正念場にあたって、日経平均かTOPIXかにこだわっても仕方がないことで、とりあえずよりポピュラーな日経平均を相場指標とし、オリンピックの代表選手を応援するような気持で、その活躍を念じているわけです。

 現在、お昼休み。前場、日経平均は1万8000円割れまで反落しました。顧客から電話があり「やっぱり、1万2000円は無理だね」と一言。
 この顧客は、口では非常な弱気です。日経平均は3月で今年の高値を打ち、今後は原油価格上昇とともにどんどん下がり、9500円まで下がるとどこかのストラデジストとそっくりのことを言っています。
 その方には申し訳ないのですが、もしその方が本気でそう思いつめ、持ち株を全部手放したら、そのときこそ相場は躍動感を取り戻すだろうと期待しているのですが、なかなかそうはなりません。
 超弱気のその方でさえ、急には下がらないと思っているところに、いまの相場の始末の悪さがあります。弱気の人が急には下がらないと思い、強気の人も急には上がらないと思っているようでは、所詮相場の振れは限定的です。

 3月の初め、日経平均1万2000円の攻防をめぐって、市場には熱い期待と警戒感が渦巻きました。大軍が進軍を開始したようなものです。しかし、その後次第に、戦線が膠着し、長期戦の様相を呈するにつれ、投資家の期待と警戒感はともに鋭角的なものでなくなり、マンネリ気分に陥ったのです。
 私自身で見ても、平均株価が伸び悩み始めた最初の頃こそ気をもんだものの、そのうち一進一退に慣れっこになったような気分で、毎日を浪費しています。
 では、いつまでこんなことをしていればよいのでしょうか?


 私はとりあえずあと1週間くらいで転機を迎えるのではないかと想定しています。最近動きが不安定な原油価格に一応の落ち着きが出ると予想されることに加え、第1四半期の決算発表でハイテク企業の業績に対しても一応の悲観が出尽くすと見られることから、4月後半の米国の株価に明るい動きを期待しています。
 日経平均1万2000円に向けての戦線に動きが出るまで、とりあえずは待ちのスタンスです。仮に、戦線の膠着が長引いても、長い歴史の中で見れば、おそらく瞬時のことでしょう。


第329回 株価の揺れと気持の揺れ<3/30>

 昨日、日経平均が200円近く下がり、株価ボードが緑色の株価でいっぱいになりました。我々の部屋の株価ボードは、銘柄ごとの株価が2%の高下で赤くなったり、緑になったりするように設定されていて、比較的頻繁に色が変わりやすいのですが、ボードが軒並み緑になったのは久しぶりのことです。
 株価の高下を表す色の使い方は日米でまったく逆で、我々日本人証券マンはボードが赤くなると、まるで牛のようにアドレナリンが分泌する一方、緑一色になると、借りてきた猫のように気持が萎縮するように習慣づけられています。昨日は、我々の部屋のほぼ全員(一部売り方を除き)気落ちした顔で、ずるずると下がる日経平均を呆然と眺めていました。
 もっとも、我々の茫然自失は、昨日の下げで急にやってきたものではありません。3月7日に日経平均が高値をつけて以降、だんだんに上値の重い銘柄が増えてくるにつれ、徐々に蓄積されたものです。私自身も月半ばから焦りを感じており、先週の「月曜レポート」の表題を「正念場の週」としましたように、情けない話ですが、一時は弱気転換とほとんど紙一重のところまで気持が揺れていました。

 前に書きましたが、「簡単には信念を変えず、しかし場合によっては豹変できる人が、長い目で見て好成績」をおさめるはずです。
 だから、いまの場合も、株価が思うように上がらず、逆にストンと来たからといって、いちいち気持が揺れているようでは大きな成果を望めるはずがありません。
 そのことが重々分かっていて、それでも気持が揺れてしまうのは、「場合によっては豹変」しないと大変なことになってしまうのではないかと考えてしまうからです。強気を貫くべきか、それとも思い切って弱気に転換すべきか、ついついハムレットのように思い悩んでしまいます。

 進軍するか退却するか、方針を持続するか豹変するか、AをとるかBをとるか、株価に限らず、我々は人生の中でつねに二者択一を迫られています。それらは熟慮すれば正しい答が分かるという場合は少なく、おうおうにして答えを割り切り、選択した結果に身を任せる決断も必要です。そして、いったん決断した方針をうまく持続することができ、かつ状況が変化したとき敢然と豹変できる人が成功する確率が高いわけですが、その持続と変更の使い分けが凡人には難しいところです。
 我々普通の人間は、状況の変化のままに気持が揺らぎ、感情的に方針を変更して失敗したり、逆に感情的に方針の持続にこだわって大失敗したりします。だから、普通の人間にとって必要なことは、できるだけ自分の感情を他人事にして、客観的に考えてみようと努力することのみです。

 客観的に考えた場合、金利と株価の関係から見て、米国の株価が中期的に上がりにくい状況にあるのは確かだと思われます。
 ただし、だから下がると見るよりは、業績の下支えで底堅い推移が続くと考えるほうが妥当と考えられます。
 ドルが暴落するとか、「住宅バブル」が崩壊するとか、ITの大不況がやってくるといったような極端な発想をするなら別ですが、連銀が将来のインフレや投機熱の高まりを懸念して金利を予防的に引き上げようという状況の中で、米国の景気と企業業績が急に悪化することは考えにくいことです。そして、業績が悪化しないのに株価が大幅に下がると考えることは、現在のPERの水準(SP500平均16倍)から見て不自然です。

 米国の株価が基本的に横ばいと想定するなら、日本株が下落すると考えるのはますます不自然です。
 日本株は、金利上昇懸念が小さい分、米国株より有利です。百歩譲って、金利上昇懸念がないことはバブル崩壊→デフレの後遺症をひきずっているからだとしてプラスとマイナスを相殺しても、企業業績の向上余地を考えれば、日本株のPERは米国株より高くてよく、現状の平均PER20倍(来期PER18〜19倍)にそれほど下値不安があるとは思えません。   
 2年前は世界的なデフレ不安で、平均PERが16倍に低下しましたが、そのような悲観的なムードが市場を支配することは考えにくく、日経平均の下値リスクは1000円以内なのではないでしょうか。

 日経平均の下値リスクが1000円以内と割り切れれば、根本的な不安感は薄らぎます。あとは目先の高安予想ですが、こちらのほうはかなり気楽な世界です。
 いま、午後1時近く。日経平均で61円安と続落で、まだまだ平均株価の目先動向は予断を許しませんが、少なくとも4月第1週中に反転するだろうと楽観しています。ただし、2月から想定してきた日経平均(主力株)が躍動感を持って上がるような局面は、短期的には期待しにくくなったと思われますので、銘柄によっては戦術的な方針変更は避けられません。
 すなわち、双日とアルバックなど、従来から長期の投資対象と考えてきた銘柄については方針の変更はまったくないものの、比較的短期の狙いだった銘柄のうち、みずほや野村証券などの主力株については、売り目標値を大幅に下げるか、やや長い目で日経平均の本格上昇を待つ作戦に切り換えるか、いずれかを選択すべきと考えます。


第328回 株の論理<3/23>

 ライブドアをめぐって、2つのご意見をいただきました。(「月曜レポート」欄外書き込み)
 1つは、私が個人好みの中低位銘柄の異常人気に警鐘を鳴らす意味で、たまたま誠備という昔の仕手グループを引き合いに出したことに対してのご意見で、次の通りです。

 Aさんの意見:「ライブドアと日本放送フジTVの話題は本当にエポックメイキングに感じています。90年バブルの大前提は日本の企業間(銀行も含め)持合でした。これが失われた15年で消えました。団塊世代の年金暮しを考えると株式運用の重要性と透明性は、今、日本株式の社会的要請と思っています。誠備とかは些細なことのようにも思います。(素人見解すいません)ペイオフ、郵貯、団塊リタイアで、この3年、日本株式のもつ重要性は日本人にとって激変するように思っているのですが貴見解は如何ですか?」
 
 もう一つは、次の通りで、ライブドアの行動に一定の歴史的な意味を認めながらも、あえて無視して、他のことを考えたいとするものです。

 Bさんの意見:「ライブドアの件でようやくこの国にも株主の権利が見直される時なのかも知れません。ただライブドアのやり方は、どちらかというと投資家集団それも仕手グループ的なものを感じますので、私は無視しています。
 それよりも電炉関連が、気になって仕方がない今日この頃です。東京製鐵など利益に対してなぜこうも弱気なのでしょうか。」

 この2つのご意見に対して、私も書き込んではみたものの、問題が大きく、スペースの制約から到底意を尽くせるものではありませんので、この場で再論させていただきます。

 在来が悪で、革新が善かどうかはさておき、ライブドアの行動は在来の常識にチャレンジしており、日本の社会に新しい動きをもたらすものであることは疑いありません。
 しかし、いくら新しくても、方法論に問題があれば、社会に益をもたらすかどうか疑問です。二二五事件で決起した若手将校のように、理想とはまったく違う結果をもたらすこともあります。その点で、私はAさんのように「誠備とかは些細」とは考えられず、もしライブドアにBさんがいう「仕手グループ的なもの」を感じるのであれば、由々しき問題と考えます。
 ただし、私はライブドアに「仕手グループ的なもの」を感じません。時間外取引をうまく使ったので、目的のためには手段選ばず、カネのためなら何でもやるというふうに喧伝する人もいますが、やっていることは至極論理的かつ公明正大で、非合理と非合法にまみれた仕手グループの世界とはまったく違うのではないでしょうか。
 惜しむらくは、株式市場に対する考え方です。株価を上げるために、自社および関係会社でまさに手段を選ばず、非常識・非経済的な株式分割を実施しました。お祭り騒ぎで株を買い上がって喜ぶ投資家が悪いとはいえ、株式市場をちょろまかそうという安易な考え方にはまったく賛成できません。(私見では、米ナスダックに準じた上場基準を定め、ライブドアのように1単元1万円以下の超低位銘柄は上場廃止にすべきと考えます)
 その点はさておき、ライブドアや村上氏の率いるMACの投資行動の本質は、新しいものでしょうか? むしろオーソドックスで当たり前の論理だというべきではないでしょうか。両者とも今のところ、ソフトバンクが米ヤフーへの投資で成功したような将来の成長性を買う投資はほとんどしておらず、現在の資産価値を最大の投資根拠としているようです。土地や有価証券の時価評価がベースで、加えて規模やブランド力の商品価値で、比較的だれにも分かりやすく、解釈の差があまり生じない種類の価値を追求しているといえます。

 すなわち、ライブドアやMACが在来の社会の常識を揺さぶっているのは事実だとしても、本質的には新しい価値観を提起しているわけではなく、特に驚く必要はないと考えます。私は、彼らの動きは、Aさんのいう「株式運用の重要性と透明性」が高まる趨勢の中の1つの現象にすぎないと考えています。
 幕末に喩えれば、仕手グループが何か面白いことはないかと往来をぶらついているだけの素浪人だとすれば、ライブドアは倒幕の志を持って京都に集まった志士です。その前向きな努力と先駆者としての勇気には、大いに声援を送るだけの価値があると思いますが、いまのところ、坂本竜馬のような、びっくりするような斬新な発想は感じられない以上、むやみに高く評価する必要もないと考えるのです。

 ライブドアがどうであれ、投資家一人一人の問題は、株の価値をいかに受け止めるかです。ライブドアが買おうが買うまいが、安いものは安く、高いものは高いという自分なりの論理を持つことが何より大切と考えます。ましてや、大幅分割やその他、非経済的なお祭り騒ぎに巻き込まれることはあってなりません。
 これからの日本に来るのは、合理性への志向がクリアに貫かれている社会であって、それ以外のものではないはずです。そして、日本経済がより合理的でより効率的なものとして発展していくためには、我々一人一人の価値意識の確立がぜひ必要です。
 横並び主義やだれかの言いなりでなく、一人一人が自分の価値観を持ち、それを実現しようとするところに新しいエネルギーが生まれます。そして、それら一人一人の価値観がもっともよく表現され、効率的に集約される場として、株式市場はこれからますます重要なものになっていくと私は考えます。

 最後に東京製鉄について。
 同社の今期予想1株利益は322円、それに対して時価は5倍弱であるものの、割り引かなければいけない要因は次の通りです。
 @正常な税負担なら、最終利益は20%減少。
 A市況産業であり、中でも電炉は収益変動率が高い。
 Bただし電炉の中ではずば抜けて財務内容がよく、市況悪のときはコスト競争力が働くが、ボロ会社でも儲かる現在のような市況好調時には差別化が働かない。
 以上を考慮すれば、例えば川崎汽船がPER7倍、他の電炉各社がやはり7倍前後にしか買われていない現在の市場では、驚くほど割安とはいえません。
 ただし、次の理由により、私は買いをお勧めしています。
 @鉄鋼業の目下の高収益は、中国特需という一時的な要因だけではなく、長年の構造調整の進展による面も大きく、根本的には収益が悪化しない可能性がある。
 A業界の収益が調整局面に入った場合、根本的な収益悪化でなければ、総合的展開のメリットで他の電炉に比べ収益悪化のリスクは小さいと予想される。
 すなわち、比較的安全な鉄鋼株としてお勧めしています。最新の四季報で、来期経常横ばい・最終減益(税負担正常化)と、他の電炉や高炉に比べて弱い予想ですが、市況に対する同社の慎重な見通しが影響したと思われ、他社に比べ収益展望が悪いということを意味するわけではないと見られます。
 Bさんは弱すぎると思われていますが、水準が高いだけに慎重な見通しを出すことに私は賛成です。市況産業の場合、予想はあくまで目安にすぎませんから。


第327回 長期投資と短期売買<3/16>

 今日は米国安にもかかわらず堅調な始まり。日経平均に一喜一憂していたら身が持たない展開です。
 最近の私は目先=強気想定、中期=強気想定というスタンスで一貫しており、私のほうから顧客に弱気のアクションを勧めることはまったくありません。しかし、顧客によっては、特に信用取引で自己資金以上の買い付けを行っている顧客は、強気一辺倒というわけにもいきません。昨日、一人の顧客はご自身の判断で信用建て玉をだいぶ減らしました。目先弱気になったからではなく、明確な自信が持てなくなったので、とりあえずリスクを減らしておくという考え方によってです。
 この顧客は、ときとして驚くほどの量のリスクを取って平然としているかと思えば、石橋を叩くような用心深さもあり、私はその柔軟なリスク感覚に敬服しています。今回の結果の良し悪しは別として、リスクをご自身でうまくコントロールできるその顧客は、今後も株式投資で好成績を残していくだろうと思います。

 ところで表題に掲げた件について、質問のメールが来ました。その方には一応お答えしたものの、上に述べたようなリスク管理と密接に絡む問題なので、その後もあれこれと考えてしまいました。
 質問の趣旨は、@短期と中長期の定義は?A優劣比較は?B短期と中長期をうまく使い分けられないか?という3点で、@については、超短期=デイトレ、短期=数日〜1か月以内、中期=数ヶ月、長期=数年という見解を述べました。Aについては、短期がよいか長期がよいかは投資家によってケースバイケースの問題としたうえで、期間が短いほどスリルがあって面白く、したがって損する確率も高いという普通の考えを述べました。問題はBの使い分けです。
 その方には、ちゃんと意識すれば使い分けができると答えてしまいましたが、考えれば考えるほどあまりいい答えではなかったと思え始めました。

 短期と長期を使い分けることは非常に難しいことです。資金源をまったく違えてやるならまだしも、同じ人間が同じ脳みそで同じ資金の中でやれば、必ずごちゃごちゃになり、判断を狂わせる原因になりかねません。
 例えば、私は長期投資を顧客に勧めています。しかし、歩合外務員として手数料を稼ぐ必要や多少の顧客ニーズもあって、上得意の顧客には短期投資もお願いしています。短期分については損してもある程度の範囲内に止めるべく重々に注意しているものの、長い間には油断して大失敗してしまいます。
 失敗例1:大真空(中途半端な判断)
 IT相場の崩壊末期、出遅れの電子部品株の高値づかみ。なまじっか出遅れだけに、PERもPBRもそれほど高くなく、一見安全そうで中長期投資でもよいかと思え、ずるずると持ち続け、長期塩漬けに。いっそ、先駆株でハラハラしながら短期勝負していたほうがよほど安全な結果だったかも。
 失敗例2:双日(熱くなりすぎ)
 昨年の4月、2度目の700円台、長期投資で十分な株数を持っているにもかかわらず、短期投資でもいけそうなので買い乗せ。目先は上昇したので、短期と割り切れば成功したはずだったが、長期投資の思い入れが影響し、利食いそこねたばかりか、見切りどきも失い、大幅下落後泣く泣く長期投資に変更した。

 短期投資それ自体のリスクは限定的です。問題は人間心理で、大損する顧客のパターンは、目先ちょこちょこと儲けようと思い、だめなら早めに投げればいいという軽い気持で買いを入れたところ、運悪く下落。ここで投げればよいのですが、ちょっとだけ我慢しようと投げ惜しんでいるうちに、ますます下がると、そのうちなんとかなるだろうという楽観に身を任せ、だんだんと長期塩漬けに。それに加えて、途中で意地になってのナンピン買い増し、そして往々にして底値圏でつくづく嫌気がさし投げたくなるか、逆にその株だけに異常に執着し、他の景色がまったく見えなくなるという悪いパターンにはまっていきます。

 超短期なら数円、短期でもせいぜい数十円の儲けを狙った投資が、ずるずると数百円の大損につながった話は枚挙に暇がありません。かつて証券マンの転落の大半はその奈落の果てでした。デイトレは、ロスカットが適切に行われれば、それ自体のリスクは限定的のはずですが、普通の人間である限り、つねに奈落と背中合わせであり、その恐ろしさは証券界では常識のはずです。
 ところが、最近、書店の株式コーナーには、「デイトレで財産を作ろう」とか「デイトレで副収入を稼ごう」とかいう類の本が何冊も並んでいて驚かされます。
 また、日経新聞を含めたマスコミは、ネット取引=デイトレという図式のもとに、まるで新時代の投資形態であるかのようにもてはやす傾向があります。
 私は、デイトレが悪いことだと思いませんし、円滑な価格形成のために役に立つことだと思いますが、まるで「だれにでもでき、だれもが儲かる」かように喧伝されている現状はどうかと思うのです。

 総体として考えれば、デイトレは儲かるはずがありません。株式投資の収益を保証するのは株それ自体がもたらす果実(つまりは企業の利潤)ですが、その恩恵に浴すのは株の保有者です。それに対して、トレーダーやディーラーの収益を保証するのは、日々の需給のミスマッチ(買いたいのに売り物が少ない、買い物が少ないのに売らなければならない)であり、本質的にはそれほど大きな収益基盤が存在しているわけではありません。
 つまり、基本的には、デイトレはゼロサムです。だれかが賢明な判断をして利益をえれば、その分、だれかが愚かさの代償を払わなければなりません。逆にいえば下手なデイトレーダーが参入すれば、本来生き残れないはずの凡庸なデイトレーダーでも儲かる余地が生じ、デイトレーダー総体としての質が悪化し、市場のためにマイナスに作用することさえ考えられます。

 以上、デイトレを敵視するようなことを書いたと思われるかもしれませんが、真意はそうではありません。
 株は売り買いすれば儲かる、逆にいえば売り買いしない限り儲からないという考え方が、機関投資家も含めて、日本人投資家の多くにあまりにも蔓延しつつあります。
 そのことは重大な誤解であるということを何よりもまず申し上げたいのです。
 それに加えて、痛感することは、リスク管理について我々はもっともっと考えを確かなものにしていく必要があるということです。

 相場観等については「発言録」をご参照ください。


第326回 何をどう買うべきか?<3/9>

 日経平均1万2千円はまさに砦です。私など強気側の人間にとっては、1つの通過点を示す道標にすぎませんが、日本経済のデフレ脱却はまだ先と考える弱気側の人々にとっては、めったに越えられるはずのない要害でしょう。そして、多くの人は日経平均1万2千円の攻防を横目に、「地合いはいいようだが、上値も重いしな・・・・」とよく言えば冷静に、悪く言えば日和見で売りも買いも出しています。

 しかし、よく考えれば、日経平均の1万2千円にそれほどの意味があるでしょうか?
 我々の顧客は、日経平均を売買するわけではありません。第一部市場全体の実質的な株価水準は(主力株を抜きにすれば)昨年4月を超えています。だから、本当はいま、日経平均なんか気にする必要はないのです。むしろ、日経平均の1万2千円の壁を意識しすぎて、買いたい銘柄を十分に買えないことを怖れるべきでしょう。
 相場が中期的に堅調と考えている我々の場合、日経平均はあくまで副次的な問題で、本当の問題はどの銘柄をどのようなスタンスで買うかです。
 今回は、強気の立場から、何をどう買うべきかということを考えてみたいと思います。

 上げ相場を前提にする以上、景気敏感株が買われるだろうと考えるのが普通の発想かと思われます。ところが、最近は多様な考えが入り乱れており、資産価値のある銘柄や配当利回りの高い銘柄に注目する人や、国際優良株が真価を発揮すると考える人や、中には景気が悪化しても大丈夫なように薬品・食品などディフェンシブ銘柄がお勧めという人もいます。
 私自身は、景気敏感株派で、景気に自信が持てずによく強気がいえるなと他派の人の銘柄コメントを不思議に思うほどですが、ま、そこは譲って、いろいろな考えが入り乱れるのは市場のために大変よいことと考えましょう。
 ただし、これだけはどうかと思うのは、「株は理屈じゃないよ」とばかり、その日のことはその日に考えるという日替わりメニュー派です。
 瞬間勝負の証券会社のディーラーやセミプロ級のネットディーラーはさておき、ごく普通の投資家までが「株は理屈じゃないよ」をいいことに、動けばなんでも儲けるチャンスとばかり、銘柄の種類に頓着なく売買に参加する傾向がする人が増えています。ネットではなく、高い手数料を払って、朝は住金、後場マザーズ、最後はみよし油脂のストップ高と、銘柄はなんでもありで回転売買を狙う人が全国にはゴマンといるのですから驚きです。(こんな売買を勧めている担当者はそのうちSECに摘発されるでしょう)

 確かに、株は理屈じゃないかもしれません。相場のことは相場に聞けという格言があるように、理屈は万能ではありません。しかし、だからといって経済的合理性を無視した売買でもカネが儲かるということでは全然ありません。昔、宮地鉄工という橋梁の中でも投資魅力がない会社を2500円に買い上げたK氏は、その後も数年おきに復活し、兼松日産など様々な銘柄を馬鹿高値につり上げ注目されていますが、それらの銘柄はことごとく投資魅力に欠けており、彼らの合理性を無視した買いが続かなくなると、ことごとくガラクタになりました。彼らは株価を一時的に上げましたが、場末でストリップを興行しているようなもので、実体経済にはめぼしい影響を与えていません。(株価は本来実体経済に大きな影響を与えており、例えば同じ買占めでも、経済的合理性の面で主張のある村上氏の場合、昭栄や東京スタイルなどの経営に大きな刺激を与えたといえましょう)

 経済的合理性というと、しかつめらしいようですが、投資家がみな持っている普通の感覚にすぎません。普通の感覚さえあれば、不正増資の南野建設の高値なんかだれも買わないでしょうし、大幅分割して株券が届くまでの空き巣狙いのような売買が危険だとだれにも分かるはずです。(それが分からないという人は、自分の知らない会社に投資すべきではありません)

 さていよいよ本題。何をどう買うかを考えるうえで、見解が分かれるのは、主に次の諸点です。
  @ディフェンシブか景気敏感か?
  APBR(資産)かPER(収益)か?
  B優良(値がさ)かボロ(低位)か?
  C成長性重視か配当含むバリュー重視か?
  D内需関連か輸出関連(対米or対中)か?
  Eハイテク系か在来産業系か?
  F大型か小型か?

 私見では、@はもちろん景気敏感株を優先します。
  Aについても、@に関連してPER(収益)を優先します。
  Bについては、どちらともいえません。
  Cは、成長性を業績変化率と翻訳すれば、変化率重視です。
  Dについては、ケースバイ・ケースです。
  Eも同じく、ケースバイ・ケースです。
  Fは、上昇波動全体としては圧倒的に小型株優位になるはずですが、当面については、大型株巻き返しのリズムと考えます。

 その結果、私は、双日とアルバックを長期的な戦略銘柄にしています。上記@ACに該当し、双日は小型株とはいえませんが、時価総額では小物の部類です。
 一方、当面については、第一部の主力株に活躍余地が大きいと考え、みずほと東京エレクを戦術銘柄にしています。今のところ、主力株の上値は重く、たいした成果は上がっていませんが、近いうちに躍動感のある上昇場面を期待してもよいのではないかと思っています。

 以上はあくまで私の考えであり、非合理的でなければ、どのような考え方をしても市場にとって有益であり、かつ信念を適切に継続できる人は、長い眼で報われるだろうと考えます。


第325回 疵のある株とない株<3/2>

 昨日は昨年4月以来の出来高21億株、今日はNY高も手伝って日経平均1万2千円の砦にまた一歩前進が確実ですね。
 最初に申し上げます。今回もまたやや抽象的な議論になりそうです。私自身は、これから日本に本格的なエクイティーの時代が始まるという思いから、株式の本質にかかわる議論に大いに乗り気なのですが、いまのように相場が風雲急を告げているときに、そんな議論につき合っていられないと思われる方も多いと思います。
 当面の相場観や銘柄については、「発言録」(上掲)の「月曜レポート」をご参照ください。最近の銘柄では、東京製鐵がようやく離陸しそうな気配になってきましたが、イオンは減額修正の発表で、織り込み済みかどうか今日が正念場ですね。

 さて本題。疵(キズ、難点)のある銘柄の株価は当然安くなります。現在の東証1部で疵物の代表選手は、企業不正でボロボロの三菱自動車とダイエー、大京、双日の旧UFJ不良債権銘柄でしょう。それに対して、疵のない銘柄の代表選手は、高収益を安定的に続けているトヨタやキャノン、HOYAなどです。

 君子危うきに近寄らずで、投資対象として疵のある銘柄を避けることは、一つの立派な投資スタンスです。しかし、だからといって、疵のない銘柄を買えばよいのかといえば、そうではありません。
 経験的には、そしておそらく統計的にも、疵物のほうがよい投資収益をもたらすということがいえます。私の若い頃の顧客に、100円(70年代は50円)を割れた銘柄は倒産が決定的かよほど鈍重な大型株でない限りほとんど買い、上がりだしたらトコトンまで欲張るという投資の仕方を長年にわたり実行し、抜群の成績を挙げた人がいました。たとえば私の扱いで関東電化を1500円で5000株売りましたが、それは数年前に70円で買ったものだと自慢していました。
 また、疵がないとだれもが思う銘柄は、当然ながら人気化しており、高値づかみのリスクがあります。例えば、十数年前にはNTTと興銀が超優良株であり、3〜5年前にはドコモとソニーがピカピカの銘柄であり、1〜2年前には野村証券とNECが王道銘柄でした。時間の経過とともに、市場の認識は変化します。そのときにはだれもが死角なしと思ったエクセレントカンパニーも、わずかな間に成長魅力や投資魅力がない(と市場が思う)企業に凋落します。

 だから、疵のある株、つまりボロ株を買えばよいというわけではありません。私が申し上げたいのは、むしろその逆に近く、だからといってボロ株派になってしまうのはよくない、疵がある株がいいか疵がない株がいいかを決めるのは、あくまで価格の水準と投資する人の価値観の問題だろうという、ごく当たり前のことです。

 日本の投資家は極端から極端に走る傾向があり、優良株でなければ株にあらずというブームが市場を席捲するかと思えば、優良は儲からない、儲けるにはやっぱりボロ株だと決めつける投資家が急に増加したりします。そこにあるのは、投資家自身の価値観の不足です。価値観を二の次にする投資家が多いからこそ、たとえば本来なんの価値変化も起きない10分割だ100分割だでお祭り騒ぎが始まります。もちろん、儲かればそれでいいじゃないかといことになりますが、価値観がちゃんとしていないままで儲け続けられるのでしょうか? 価値観二の次、儲かればいいじゃないかで突っ走った結果が、日本のバブル崩壊と失われた90年代ではなかったのでしょうか?

 私は、上場しているというだけで、ボロ株が異常に高い価格水準にあった90年代後半までの日本市場の体質を憎みます。もともとは、長年にわたる大手証券と発行会社の馴れ合いがボロも優良も味噌くそ一緒の市場体質を作り上げたとはいえ、95年の建設株相場と96年の兼松日産5000円に象徴されるボロ株高騰は、投資家自身が演出した価値観そっちのけの株価形成のまさに大団円ともいうべき気違い沙汰でした。
 先日、TVで、ニッポン放送の一般株主の立場がどうなるかということを聞かれた外人コメンテイターが、「バクチ打ちのことは、関係アリマセン」と言い放ったので、一瞬、質問を聞き違えたのかと思いました。しかし、彼は本気で、日本の一般投資家は今なおギャンブラーにすぎないと考えているのでした。
 そのように言われても仕方がない体質が、日本市場にはまだ色濃く残っています。街の投資顧問の勧めでボロ株を買う人はかなり少なくなりましたが、パソコンに向かって1カイ2ヤリに励む人が増加しました。最近の問題は、どうせすぐ売るのだからボロでもなんでもいいという風潮が、市場全般を席捲し始めたことです。

 モノの値段は需要と供給で決まります。だから、人気があればどんな高値をつけてもよいのであって、株価に文句をいうのは筋違いだと主張する人がいます。しかし、株は骨董や嗜好品ではなく、経済価値を売買するものであり、そこでついた値段は実体経済の鏡になるはずです。
 その鏡が、高度成長に沸く新興国の市場ならともかく、日本のように成熟した市場で、いまだ人々の気まぐれや、価値観のなさや、欲得に駆られた狂奔ぶりを映しているにすぎないとすれば、日本経済は今後も足が地についた進歩はできないと悲観すべきでしょう。しかし、幸いにして、日本の株式市場は90年代以降、年を追って経済的合理性を土台としつつあり、今後も実体経済の構造改革をリードしていくトレンドにあると考えられます。

 結論を申し上げます。私の思うところ、日本の投資家は、証券マンや投資顧問の言いなりになる人が減少し、自分自身で判断しようとする人が増加し、全体として明らかにクレバーで勉強家になりつつあります。しかし、そのクレバーさや勉強が、単なる売買のテクニックに向けられていることは悲しいことです。自分自身の運用ニーズと投資する会社の期待収益とリスクとのかね合いをもっともっと掘り下げて考え、真に自分の価値観に適合する銘柄に対しては腰の入った投資を考えていきたいものです。

 双日が570円台に上昇しています。今日、425円の信用買いの期日でしたが、顧客と相談の結果、クロス(売り買い執行による継続)に決定しました。


第324回 株を好きになりたい<2/23>

 週明け早々のおととい、双日が待望の500円台に乗せたとき、数人の顧客から「どうする?」と聞かれました。一人の顧客からは、少し売ってみずほを買うのはどうだろうかという相談を持ちかけられました。
 それに対して、私は、歯切れのいい答えができませんでした。この銘柄とのつき合いはもう随分長く、一昨年の春の200円台から秋の794円にかけては万々歳の展開でしたが、その後は目先の一段高を期待するたびにスカを引き、曲がり屋になってしまいました。
 もともと、目先の動きを当てることに自信がないところにきて、いったん曲がり屋になると、みごとなほど予想がはずれ続けます。チリチリに乱れた精神状態でちぐはぐな判断をして、顧客に大変な迷惑をかけてしまいました。だから、双日が800円台にでも上昇しない限り、目先の上げ下げの予想はできれば避けたいという気持が強く、聞かれても歯切れが悪くなってしまうのです。

 ただ、予想を別にして、これだけはいえます。
 私の顧客のうち、かなり多くの人にとって、双日は運用のコアになっており、ポートフォリオの重要な部分を占めます。
 私の側からいえば、双日は私の営業戦略上のコア・ストックであり、双日で時間をかけても大戦果を挙げ、営業基盤の飛躍的な拡大を果そうというのが当初からの狙いです。したがって、500円乗せはまだ登り口に達したにすぎません。
 顧客の側からいっても、一昨年10月と昨年4月と2度あった700円台でも売らなかったくらいなので、もはや多少上がったからといって、売る気になれない人がほとんどです。信用の顧客さえそうで、期日のクロスも慣れっこになった感があり、ある顧客などは520円をつけてきたあたりで、逆にちょっとだけ買い増ししようかと言いましたが、その人はもうすでに十分(その人としては)信用買いしているので、「上がったら、上がったでいいじゃないですか」と言って止めました。
 その顧客に対しては止めに回りましたものの、他の顧客であれば大賛成したかもしれません。私にとって、双日は、まだ空を飛べない<みにくいアヒルの子>です。2年連続で飛翔に失敗して、もしかするとやはりアヒルかニワトリにすぎず、飛べないままに終わってしまうのかと悲嘆にくれたこともありますが、昨年の優先株の条件決定後は、心情的に揺れ動くことはほとんどなく、随分前に書きましたように今年こそ大空に羽ばたくはずと期待しています。

 ところで、第一部市場の平均株価は、今週こそ上向きのトレンドが鮮明化するかと思いきや、月曜の午後以降、意外なほどの(多くの人にとっては予想どおりの?)上値の重さですね。
 信託銀行を通じての売り(年金や銀行・生損保の持ち株処分)は、この段階になっても、ますます強まっているようです。今週の月火は、米国がホリデイであったこともあり、第一部の主力株が、NECなどごく一部を除き上値の重さをさらけ出し、平均株価は上がりっぱなを叩かれた形になりました。
 そして今朝はNY安を受けてかなりの下げ。結果的に、国内の法人の運用担当者はNY安を先取りして、クレバーな判断をしていたことになりますが、私はそうは思いません。

 これはかなりの部分で想像ですが、彼らには知識と品位はあっても、信念のある行動はとれません。とれない理由は、彼ら自身の仕事姿勢も一つの理由ですが、大きな背景としてあるのが、日本の法人による株式運用(生損保・年金・投信などの機関投資家、事業法人、銀行など)が、現在様々な変化の過度期にあり、苦難期にあるといってもよいことだと思います。前回述べたように、私は現在の日本は資本主義精神が遅まきながら開花する過程にあると考えていますが、持ち合い解消や、代行返上や、株式運用比率の削減などは、その開花を前にしての様々なぎくしゃくの一つにすぎません。
 例えば、機関投資家でいま主流となっているリバランスという運用戦略。値上がりして資産評価額が上がればその分売却する、値下がりすればその分買い増しすることにより株式保有金額を一定に保てば、まるで相場に対して中立を遵守しているように思えます。しかし、結果的にはそうはなりません。なぜなら、株式での運用金額が運用担当者の意思とは別に政策的に変更されてしまうからです。しかも、その政策の変更はつねに横並びです(例えば、日生は弱気スタンスだが、第一は強気スタンスだなんていう話はほとんどない)。
 その結果、日本の機関投資家はクレバーでも中立でもなく、時としてけたたましいほどの強気や弱気に、おうおうにして横並びで移行してしまいます。2年前、彼らの売りと日和見で、松下やミレアのような穏健株までが解散価値を大きく割り込み、日経平均7,000円台の底値をつける大きな原因になったのは歴史的な事実です。

 やや感情的な言い方になりましたが、日本の株式市場の発展を願えばこその憤りとお許しください。私見では、日本経済は疑いもなく、脱デフレ、脱間接金融で脱債券優位、すなわちエクイティーの夜明けを迎えつつあると思います。その新局面の始まりの段階で、銀行はやむをえずとして、年金・生損保という機関投資家までが株式運用に対して消極的になっている傾向が強いのは、まことに遺憾なことです。

 エクイティーの夜明けの中で、日本人はもっともっと株を好きになる必要があると私は思います。
 私の知る限り、株の売買は好きでも、株そのものにあまり関心がない人が多すぎます。機関投資家も含めて多くの人が株を売買する対象としか見ておらず、さわかみファンドの沢上氏のように、株の本質的な値打ち(バリュー)に軸足を置いた言行を安定的に続けている人が少なすぎます。多くの人の発言は、A株がいくらだから、B株もこれくらいしてよいというように、所詮は軸足がふわふわとしており、移ろいすぎます。
 ふわふわとして軸足の定まらない株価形成の1例が、NECの1月の売られぶりとここにきての買われぶりの、あまりの落差です。
 上がったことは嬉しいとはいえ、外部情勢には大きな変化がない中で、この銘柄についての人気がなぜ極端から極端に移行してしまうのか納得できません。たぶん、ダメ株だという格付けが広まり、機関投資家がけたたましく売ったため、他の主力株に比べ上値が軽くなったこと自体が人気化の原因なのでしょうが、ダメ株だいう格付けで売り、今度は上値が軽いという理由で買われるという過程で、NECという会社の実体はあまりにもそっちのけにされているのではないでしょうか?
 目先の業績は悪くても、NECや富士通が構造不況業種になったわけではありません。通常の経済が続く限り、両社が1株利益50円以上の利益を挙げるのは夢でもなんでもない以上、500円台を売り叩く必要はない思われます。一方、他のハイテクに比べ特に割安感があるわけではなく、現在のような軟弱地合いの中で、ことさらNECの上値を買い進まなければならない必然性もないはずです。昨日、今日の勢いのいいNECを買っている人の多くは、おそらくNECの本質的な価値にはほとんど興味を抱いていないのではないでしょうか。

 私はいまでも非上場株を含む株がかなり好きですが、もっともっと好きになりたいと考えます。
 株は企業の持分です。たとえ市場人気がゼロでも、企業に経済価値(可能性としての価値含む)がある限り、株の価値を疑うべきではありません。
 いまもっとも魅力的に感じている企業はアルバックです。2700円台でもみ合っており、当面の業績にももはや大きな期待はできず、目先はむしろ売りたいくらいですが、「2006年以降はアルバックにチャンス到来」という会社の中期戦略を評価するなら、目先に眼をつぶっても持ち続けたい株です。(ただし、私の顧客はこのところ買い増ししていませんし、買いあおろうという意図もありません)


第323回 資本主義精神の開花<2/16>

 今朝はGDP発表を受けて小安く始まり、いまは日経平均2円安。膠着感が相変らず根強いとはいえ、ここにきての相場つきは、強気の見方に立つ我々にとっては、毎日がまさに風雲急を告げ、潮がひたひたと押し寄せてくるように感じられます。
 ただし、それはあくまで我々の立場から見た場合であり、違う立場からまったく違うことを感じている人がいても不思議ではありません。先週述べましたように、相場膠着が長引くには長引くだけの理由があり、その最終局面(潮の変わり目)では、人は様々な見方からそれぞれ自分がやっぱり正しいのだと思いがちです。

 ところで、弱気意見の大御所ともいうべきドイツ証券の武者氏が、ちょっとした路線変更(戦術的変更?)を行ったようですね。先週半ばの時点で、日経ネットに「見込み違いの反省」を発表し、従来の弱気一辺倒に修正を加えています。
 見込み違いの理由として挙げているのは、@株価が間違うということについての認識不足(つまり、本当は自分の見方が正しいのだが・・・・)とA日本の低金利についての評価不足(だから、米国も将来は低金利誘導と株安が避けられない!)で、まさに言い訳と自己正当化以外のなにものでもない文章ですが、ともかく目先の株高可能性をヘッジした形になっています。私たちの見方からすれば、この人の戦略はもはや時代に適合しておらず、ゼロからの出直りが必要と思いますが、それでも今回の発言はタイミング的にさすがに機敏なものだと感心してしまいます。
 
 株式市場の現在の多数派は、路線変更前の武者氏のような弱気派ではなく、私も含めたオーソドックスな強気派でもありません。現在の市場では、強気でも弱気でもなく、株は上がったら売り、下がったら買えばよいとクールに考える投資家が圧倒的に多数を占めるといってよいでしょう。
 その人たちから見れば、今週も本質的には大きな変化がないと思えるはずです。ただちょっと強めなので、売り目標値を少し上げてもいいかなと思う程度でしょう。相場戦術として「押し目買い・吹き値売り」は不変で、まるで永遠に正しく有効な戦術であるかのようです。新聞やTVで述べられる相場意見のほとんども、そのイメージで語られていますし、私の知る顧客や証券マンもほとんどがそう思い込んでいます。

 しかし、株ははたして本当に、上がったら売り、下がったら買えばよいものなのでしょうか?
 もしそうだとすれば、株式投資は醍醐味のない、つまらないものになってしまうと私は感じます。

 株式投資の醍醐味は、第1に一寸先が闇ということ、第2に時代の真っ只中で様々な期待やリスクに包まれていること、第3に何をどう選ぶかで大差が生じ、選択することにひりひりするような戦慄を覚えること、などであるはずです。もし株が、上がったものはいつか下がり、下がったものはいずれ戻るというように、物理の法則が成立するような無味乾燥なものであれば、それら醍醐味はほとんど消失します。また、そもそも、株が上がったり下がったりすることが、一時的な行き過ぎ(ミスプライス)だと考える発想自体が、株価を馬鹿にしすぎています。
 株価はつねに大いなる「?」であり、反落することもあれば、続騰することもあり、紆余曲折のあとに数倍、数十倍になることもあるはずなのです。株価がダイナミズムを失えば、経済そのものも痩せ衰えていくでしょう。

 これは私見というより夢想ですが、もし今年の相場が、03年4月からの上昇に匹敵する上昇相場になった場合、そのキーワードになるのは「資本主義精神の開花」あるいは「エクイティーの夜明け」ということになるのではないかと考えています。
 資本主義のダイナミズムを支えるのは、インセンティブの大きさです。賞金の少ないスポーツが栄えないように、もし株に投資しても大儲けできるという夢が小さければ、株式市場は縮小し、実体経済の活気も縮小します。
 日本ではもともと、株式が企業の持分であり、企業は株主のものという意識が希薄で、鬼っ子扱いされてきましたが、バブル崩壊とデフレ・スパイラルにより、株式のリターンに対する投資家の期待が大幅に減少しました。株は危険(それはよいとして)、だから買ってもすぐ売ったほうがよいという風潮が現在の市場に蔓延しています。
 株を持ち続けると危ないという新風潮に加え、信用取引は危ないが現物で持つなら安心、値下がりしたら買い増しすればリスクが小さくなる、などという昔ながらの迷信も健在で、日本人投資家の現状を見る限り、よい選択をした投資家が莫大なリターンをえる一方、悪い選択をした投資家が大損(実損もしくは機会損失)をこうむるという、資本主義の単純でダイナミックな原理が十分に浸透していないと思わざるをえません。(環境が人を作るので、私自身、資本主義以前の体質を引きずっているのでしょう)

 私見では、現在進行中の相場は、アンチ・デフレの本質から、日本における資本主義精神の開花を示すことになると思われます。
 (M&ACの村上氏やライブドア堀江社長の最近の活躍は、その開花ぶりを示す一現象と評価すべきしょう)

 今回はやや抽象的な議論に終始してしまいました。午後に入って双日が上昇してきましたが、コメントする余裕がありません。具体的な相場観等については、最近新設しました「まじめ外務員の発言録」http://d.hatena.ne.jp/gaimuin/20050216をご参照いただければ幸いです。


第322回 強気か弱気か?<2/9>

 このところの株価は、我々の一喜一憂をあざ笑うかのようです。
 先週の水曜日、「もしかすると潮の変わり目か?」と書きましたが、その日は日経平均22円高したものの、木曜17円安、金曜28円安と情けない動きが続き、まだ当分だめかとあきらめかけたら、月曜は思いがけなくも139円高。待望の11,500円台に突っかけてきました。しかし、昨日は9円安、今朝は高く始まったものの9時半現在なんと4円高。いちいち気をもむのが、馬鹿らしくなるような展開です。

 潮の変わり目では、押し寄せる力と退いていく力とが拮抗し、もみ合って、まるで動いていないように見えることがあります。また、動いていても、その瞬間はたまたま逆向きの方に動いているように見えることもあります。
 だから、現在のような相場局面では、様々な人々が、様々な立場から、それぞれ自分の見方が正しいと思ってしまうものです。
 例えば、普通の株には見向きもしない人々。すなわち少子化・高齢化などで日本株の上値はたいしたことなく、株価の膠着状態は長続きすると思っている人々は、それ見たことか、期待してもくたびれるだけだよと冷ややかに眺めています。あるいは、せいぜい割り切って、例えばライブドアを成り行きで買って遊んでいます。
 一方、私も含めて、日本の株価に素直に強気している人々は、まさに本格上昇に向けて一発触発の状況にしか見えず、考えることは買い増しだけです。
 また、一方では、日経平均が再び8000円になると思っている少数の弱気派の人々は、思いどおりの展開とはいえないものの、それでも上値の壁はやはり厚いじゃないか、自分の見方はやはり正しいんだよと独りごちています。中には、「山高ければ谷深し。暴落する前の最後のあがきだよ」とますます強硬に弱気を主張している人もいます。

 私は前回述べたように、一つの相場状況の中でも、様々な波が交錯しているのだから、弱気か強気のどちらが正しいかを単純には区分すべきでないと思うようになりました。
 仮に、今回も11,500円台が高値になっても、だからただちに強気の人が間違ったとはいえず、弱気の人が正しかったとはいえません。ほんの少し長い期間で見れば、強気が結果的に大成功、弱気は大失敗ということだってあるからです。
 ただし、長い期間での勝ち負けがいちばん大切なのは当然としても、できれば目先的にも勝ちたいものです。特に我々外務員にとっては、目先の勝ち負けが手数料に直結します。だから、今回の11,500円に強気するか弱気するかは、死活問題に近いとさえいえます。

 いまお昼。今日も上値の壁は重く、日経平均は前場22円安でした。ただ、鉄鋼株と半導体株が強く、景気敏感株を中心に積極的なポートフォリオを組んでいる投資家にとっては久々の活況感があります。
 私も含めた強気意見では、上昇相場に向けてまたじわじわと煮詰まってきた、もしくはもうすでに上昇し始めたのだから、この動きにつかない手はないということになります。
 買い増し(鉄鋼・半導体・証券)を狙って、積極型の顧客に連絡をとりましたが、折悪しくほとんど連絡がつきません。
 だから、また書き始めました。いま日経平均は10円高でぴったり11,500円です。

 いまの私のように、株価が上がったらますます上がると考え、買いを実行することを「順張り」と言います。それに対して株価が上がったらまた下がると考え、売りを実行するのが「逆張り」です。
 投資の手法として、順張りがいいか、逆張りがいいかはおそらく永遠の問題です。というより、ある一つの波動に対して、まだ波が始まったばかりで新鮮であれば、順張りがよく、波がもうそろそろ終わりに近ければ当然ながら逆張りがよいという簡単な結論になりますが、その簡単なこと(株価の一寸先)が分からないからこそ、投資のダイナミズムがあるといえます。また、一つの相場に様々な波がからみ合っているという立場からは、だれが本当は順張りでだれが本当は逆張りかですら、明快には区別できないということになります。
 ただ、経験的にこれだけは言えます。
 逆張りを投資の方針にする投資家は、一般的に投資の実行回数に対して成功率は非常に高いものの、1つの失敗が大きな失敗につながりやすい傾向があるということです。例えば、逆張り型では買い上がりはなく、買い下がりになるわけですが、70年代の石炭株や90年代のゼネコン株に代表される衰退株のナンピンが、いかに危険なものであったかは例証する必要もないでしょう。
 その点、順張りは成功率は高くないものの、1つの成功がいくどもの失敗を埋めて余りあるほどの大きな成功につながることがあります。例えば、上がり出した銘柄を買い、高値から10%とか15%下落するまでは絶対売らないという方針を一貫した場合、資金数倍化の大戦果にめぐり合っても不思議ではありません。
 順張りか逆張りかは、オプション取引の売り方か買い方かの損益の出方に似ているわけで、だからどっちが資金運用上優れているということにはなりません。
 要は、その時点での投資家の判断と姿勢です。
 自分がいまどのように時代を認識し、どのくらいのリスクで、どのような波につこうとしているかの見きわめだと思います。
 再び、経験的にいえば、長い眼で成功をおさめる投資家は、目先の事象で戦術はおろか戦略までをくるくると変更する落ち着かない人ではなく、かつ何が起こっても戦略はおろか戦術さえ変更しない頑固きわまる人でもありません。すなわち、簡単には信念を変えず、しかし場合によっては豹変できる人が、長い目で見て好成績になっていることは疑いありません。

 さきほど顧客の一人と連絡がつき、予定通り買い増しを実行しました。私とその顧客にとっては、さあ、いよいよ決戦だ!の心境です。
 参考銘柄を1つだけ。エスペック(6859)は明日3Qの決算発表予定ですが、PBRとPERがともに低く、順調な発表数字なら半導体株高につれ高し一段高が有望と考えます。


第321回 様々な波の中で<2/2>

 平均株価はまさに膠着状態にはまり込んでいます。NY安に抗して月曜に買われたかと思えば、昨日はNY高なのに売られ、NY続伸の今朝も始まりは小動きです。日米ともボックス相場が続くというのが市場の多数意見であり、指数と主力株の売買では、上がれば売り、下がれば買うという単純な逆張り戦術が成功し続けています。
 単純な戦術が儲かり続けるのは本来どこかおかしく、市場の多数意見はまず疑ってかかれというのが鉄則であるものの、日米株価ボックス説は、@ミクロ(企業業績)下値安心、Aマクロ(景気、GDP)上値重いというきわめてバランスのとれた見方に立脚しており、そのどっかりとした安定感から見て、意見集中のクライマックスと反動がなかなか訪れにくいといえます。(いまも、「みずほ、どう?」と顧客から電話がかかってきましたが、平均株価の上値が重い限り、大銀行の上値はしれており、今日も手に汗を握るような展開にはなりそうもありません)

 ま、しばらくは焦っても仕方がないよ、と達観して、高みの見物ができればよいのですが、我々は業務上そうもいきません。
 いまこれを読んでいる方の多くは、おそらくネットで売買注文を出されていると思います。経済的な合理性から、そのことに私はまったく異議がありません。一方、手数料率を無視して我々外務員に注文をくれる顧客は、一般的に、株式投資に金銭的な利得とは別の心情的な満足を求めるウエットな傾向がより強いといえます。
 すなわち、前回述べたような自己発現欲、歴史的な瞬間の中で右か左かの選択を求められるようなヒリヒリする気持を味わいたいという欲求、あるいは単に日常性から逃れてロマンを味わいたいというような欲求不満的な心情。それらの顧客の欲求に対して、我々は真正面から応えなければいけません。だから、我々に日和見主義は一般にありえず(弱い営業マンはつねに日和見ですが)、仮に「当分は様子を見るべきです。休むも相場ですから」と主張するにしても、その「選択」に対する大義名分、あるいは歴史的意味を付加する必要があるのです。

 歴史的に見た場合、どんな平穏無事なときも、眼に見えないところでつねに大きな波が押し寄せており、劇的変化の可能性にさらされています。たしか昭和元禄なんていう言葉がありましたが、細かくはいつのことを指すか忘れたものの、昭和のどの時期をとろうと実は激的変化と紙一重だったことは確かです。(我々はあれほど短期間に世界の金持ちになるとは想像できず、またあれほど短期間に貧乏になることも想像できませんでした)
 現在、我々の足下に押し寄せている大波はたとえば次のようなものです。
 @日本の少子化・高齢化
 A米国の経済成長の鈍化
 BBRICsなど人口大国の経済成長
 この他に、弱気の人に言わせればC行政の赤字増大とデフレ進行、強気の人に言わせればDデフレ脱却と弱気の反動、E在来産業の構造改革と収益回復、F社会の効率化と証券市場の透明化(グローバル化)など様々な波が押し寄せ、それらが景気や製品需給の波ともつれ合っていると考えられます。
 株式市場内で見れば、昨年来の波として、G低PBR銘柄の水準訂正、H分割銘柄の異常人気化や低位株の異常出来高に示される個人パワーの顕在化、I高配当銘柄の増加などが指摘できましょう。
 このような様々な波がてんで思い思いに押し寄せ、複雑に絡み合って、現在の東京市場の膠着状態が出来上がっているわけです。
  
 我々は一人ひとり時代の受け止め方(感受性)が違います。したがって、投資家ごとに、どの波では前向き評価(順張り)、どの波では後ろ向き評価(逆張り)ということがあるはずが、そのような投資家ごとの受け止め方の違いは、株価を見ているだけでは分かりません。ましてや現在の株価はいろいろな評価が交錯した結果、少なくとも指数では停滞膠着しており、面白くもなんともありません。
 現在の状況だけでいえば、時代に対してなんの感受性もなく、株の怖さにも感受性がなく、ただ下がったら買い、上がったら売ればいいじゃないかと簡単に考えている人が面白いように儲かっているはずです。
 しかし、いうまでもなく、そんな状態は長続きするはずがありません。

 様々な波が交錯する中で、ある波には逆らい、ある波には乗って、結果として株式運用の勝者となる人は、理論か感性かなんらかの意味で人より優れているはずと私は思います。(インサイダーでもない限り、そんなことはないよと否定する人がいることは前回述べた通りです)
 私は残念ながら理論や感性、それ自体で市場平均に勝つ自信はありません。
 わずかに自負があるとすれば、ああでもない、こうでもないと考え続け、考えた結果を実行し続ける根気と執着心で生き残る資格があるのではないかと思っています。
 私にとってもっとも関心がある大きな波は5〜10年規模のものです。だから、20年先の人口構成の心配より、未曾有のバブル崩壊を克服しつつある日本経済の回復がどのくらいのものになるかにつねに関心があります。
 その大きな波にこだわるあまり、1998年で日本株は大底を打ったと誤認し、ネットバブルが崩壊した2000年の夏からはずっと日本株に強気を続けています。この欄を書き始めたのがちょうどその頃で、だから私の文章を読んでくださっている人が、私を他の株屋以上にも万年強気だと思ってらっしゃっても仕方がありません。

 様々な波への受け止め方、重視の仕方は人それぞれであるべきです。ただし、私には上のGとして挙げた個人パワーの顕在化で、分割銘柄の権利落ち後の異常高に象徴される経済的合理性を無視した動きは、絶対に前向き評価ができない波で、どさくさまぎれに自社株のつり上げを狙う発行会社もろとも市場から淘汰すべきとさえ考えています。

 現在14時過ぎ、日経平均は22円高ですが、丸紅が昨年高値に接近している他、鉄鋼・海運、小型ハイテクなど個人投資家の期待が高い銘柄群に強い動きが見え、もしかすると潮の変わり目かと思わせるような明るいムードが、久々に漂っていると感じるのは私だけでしょうか?
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